役に立つという事

最近はよく瞑想を試みます。
目を瞑って無になろうとしますが、今どうでもいいいろんな事が頭を飛び交いなかなか上手くできません。
ソルフェジオの瞑想音楽を聴きながら、神と天使と守護霊と背後霊の方々に感謝を伝えます。そして瞼の裏に見えるボヤーとした光を見つめます。
しばらくして、ふと自分が最も気にしてる事が頭に浮かんだんです。
それはリウマチで自分が家事すらまともにできない不甲斐なさと人の役に立てない事です。
普段から瞑想して神に祈りつつ不甲斐ない自分を責めていたのが、
今回ばかりはなぜか
「病というカルマは、後に人の苦しみを理解し、人に優しくなれる事の修行。しかし病を背負っている間も自分が病のサンプルとして、次の病人の役に立っている。そう思えば痛みも苦しみも楽に感じられるかもしれない」
とポンポンと頭に浮かんで声に出していました。
これが与えられたインスピレーションというものでしょうか。
神の声なんてよく言いますが、人間的な口頭ではなく霊を通してテレパシーのように伝えてくださるものではないかと思うんです。
あるいはすでに自分の中にあった答え、いやそれすらも神に与えられたもの。それを導き出されたという気がします。
瞑想音楽と相まって感動的な気づきに泣きそうになりました。
目に見えず結果もわからないけれど、今の自分でも回り回って役に立つと思えればこんな幸せな事はない。病気になって良かったなとは言えないけれど、少なくとも役立たずではないという事です。
神に感謝いたします。天使と守護霊と背後霊に感謝いたします。